愛ってなんだ

愛ってなんだ
天蔵はセッションの際に、2つのお祈りをしています。
・謙虚に施術させていただきます。
・相手のお名前を呼んで、●●さんに100%の愛を注ぎます。
この2つ。
謙虚に施術
謙虚に施術というのは、自分の力ではなく、クライアントさんの自己治癒力を呼び起こすお手伝いをしているにすぎないと考えているからです。または、宇宙の力を借りていると言ってもいいかもしれません。決して、自分の力ではないんです。そのようなエゴが入ると、それは施術においては邪魔になってしまいます。
100%の愛を注ぐ
天蔵は、個人セッションだと1日に3、4名、講座だと10名以上の方に施術させていただくのですが、今この瞬間には目の前のクライアントさんに100%の愛を注ぎますと誓っています。
この愛というのは抽象的なので、どう言ったら伝わるかと考えていたのですが、マザーテレサの言葉にヒントがありました。マザーテレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と言っています。この言葉は、社会的に恵まれない環境にいる人たちへ関心を向けることが大切だという意味なのだと思いますが、なるほどなと思いました。
愛の反対が無関心なら、愛は相手に関心を持つこと。そう考えると、具体的であり、感覚的にもしっくりときました。だから目の前の人に100%の愛を注ぐということは、100%の関心を向けるということです。
100%の関心を向ける
施術をする際には、目の前の相手に100%の関心を向ける。そうすると、相手の呼吸や、体の動きも見えてきます。マッサージをして、ふくらはぎが張っていたら、立ち仕事で疲れやすいのかな。呼吸が浅かったら、緊張しているのかな。呼吸もいつも同じリズムではないんです。
相手に関心を向けると、愛おしいなという気持ちが自然と出てきます。この人にあなってほしいな、幸せになってほしいな。その気持ちこそ愛であり、その想いは確実に伝わって、施術にも反映されます。
一方で、自分の力で、相手を泣かせてやろう、相手を気持ちよくさせてやろうというのは、相手に関心を向けているようで、実は自分に関心が向いてます。
施術のやり方をお伝えしても、「何も起こりませんでした」と報告をいただくことのありますが、これは愛が足りない、関心が足りない。関心を向ければ、何も起こっていないということなんてありません。
タントラセラピーではセラピストにとって必要なものはテクニックではありません。相手を愛おしいと思う気持ち。愛です。