頭が休まらない時代のマントラ 

第1章マントラとは何か

―「唱える言葉」ではなく「心を守る音」


 マントラという言葉を聞くと、多くの人は「呪文」や「スピリチュアルな言葉」を思い浮かべるかもしれません。あるいは、特別な修行者や信仰を持つ人だけが使う、少し遠い存在のように感じる人もいるでしょう。

 しかし本来、マントラはもっと静かで、もっと実用的なものです。それは信仰を要求するものでも、特別な能力を前提とするものでもありません。

 マントラとは、心を扱うための技法であり、誰でも実践するだけで、日常生活に取り入れるだけで、その効果を実感することができるものだと考えています。


マントラの語源にあるもの

マントラ(Mantra)は、サンスクリット語の
「マナス(manas)」=心・思考・意識
・「トラム(tram)」=守る・解放する・道具
という二つの語が合わさった言葉だとされています。

つまりマントラとは、「心を守るための道具」、あるいは「思考を解放するための音」という意味を持っています。

 ここで重要なのは、マントラが「心を高める言葉」ではなく、心を鎮め、整えるためのものとして生まれている点です。


マントラは「意味を伝える言葉」ではない

 私たちが日常で使う言葉は、意味を伝えるためのものです。言葉は思考を生み、記憶を呼び起こし、未来を想像させます。

 しかし、マントラには意味がありません。多くのマントラは、現代語に正確に翻訳することができません。あるいは翻訳できたとしても、それは補足的な説明にすぎず、本質ではありません。

 なぜなら、マントラは意味を理解することで作用するものではないからです。マントラは、音そのものが、呼吸・身体・意識に直接触れることで働きます。マントラに意味があると、私たちはその意味を思考してしまいます。だからこそ、意味のない音が重要です。

 マントラは意味がないから意味がある。


「考えない」ための技法としてのマントラ

 現代人は、常に考え続けています。考えることが止まらない、という状態が当たり前になっています。不安も、焦りも、怒りも、その多くは「考えすぎること」から生まれます。

 マントラは、その思考の連鎖を、力づくで止めるものではありません。ただ、意味を追えない音を、呼吸とともに繰り返す。それだけで、思考は自然に手を離します。

 マントラとは、「集中するためのもの」ではなく、考え続ける癖から一度、降りるための技法なのです。

 気づいた方も多いと思いますが、瞑想と同じです。人によリますが、瞑想よりも簡単だと個人的には考えています。座って瞑想していても思考が飛び散ってしまうという人でも、単調な音を何万回も唱えていると、思考が止まることに気づけると思います。


なぜ音なのか

 マントラには、受け継がれている音があります。「オーム」「アーメン」「ギャーティーギャーテー」、これらの音が、なぜいいのかは現代科学ではまだ解明されていませんが、振動、周波数が関わっていると考えています。


 音は、空気の振動です。そして人間の身体の大部分は水分でできています。水は、振動をよく伝えます。つまり音は、言葉よりもずっと直接的に、身体の内側に届きます。

 マントラは、思考を通さず、感情を説明せず、身体そのものに触れるものです。だからこそ、信じなくても作用し、理解しなくても変化が起こります。


マントラは「静かに戻るための音」

 マントラは、どこか特別な世界へ行くためのものではありません。むしろその逆で、今ここに戻るための音です。

 考えすぎた頭から、張りつめた神経から、過剰な感情から、そっと現実に戻ってくる。マントラは、心を変えようとしません。ただ、心が暴走しないように守る。

 それが、マントラという技法の原点です。

第2章 意味を超えて作用する「音」の力

なぜ理解しなくても効くのか

 マントラが不思議に感じられる最大の理由は、「意味が分からなくても作用する」という点にあります。

 私たちは長いあいだ、「理解できるものだけが役に立つ」「意味が分からなければ効果はない」という価値観の中で生きてきました。マントラは、その前提を静かに裏切ります。


人間は言葉をどう処理しているか


 言葉を聞いたとき、私たちの意識は自動的に「意味」を探しにいきます。この過程では、過去の記憶、感情的な経験、価値判断などが同時に呼び起こされます。

 つまり言葉は、思考と感情を連鎖的に活性化させる装置でもあります。これは日常生活では便利ですが、休みたいとき、鎮まりたいときには、むしろ負担になります。


音は「意味」を要求しない

 一方で、意味を持たない音は違います。理解しようとしても理解できない音、翻訳できない音、説明が追いつかない音。こうした音に触れたとき、思考は自然に手を引きます。

 マントラが使うのは、この「意味処理が起きない状態」です。考えようとしても、考えきれない。その瞬間、意識は言葉の外に出ます。


思考が静まると、何が起きるか

 思考が止まると、無理に集中しなくても、呼吸や身体感覚が前に出てきます。息が深くなる、音の余韻に意識が残る、身体の内側に感覚が広がる。

 これは特別な状態ではありません。本来、誰にでも備わっている感覚です。マントラは、その状態へ戻るための“入口”として働きます。

 マントラにおいて、「分からない」という感覚は失敗ではありません。むしろ、正解です。意味を追えないからこそ、評価も、判断も、解釈も起きない。

 ただ音が通り、呼吸が動き、身体が反応する。マントラは、思考を止めようとしないことで、思考を静めるという、とても穏やかな方法なのです。



マントラは「理解する前」に働く

 言葉は、理解したあとに影響を与えます。マントラは、理解する前に影響を与えます。だからこそ、説明できなくても、理由が分からなくても、「何かが変わった」と感じることがある。

 マントラとは、意識の奥に直接触れるための、とてもシンプルな音の使い方なのです。

第3章 マントラは「唱える」のではなく「響かせる」

音が通過する身体の感覚

 マントラというと、「声に出して唱えるもの」という印象を持たれがちです。しかし実践の本質は、言葉を発することそのものではありません。大切なのは、音が身体のどこを通り、どこに残るのかという感覚です。マントラは、声というよりも、身体に響かせる振動として扱われてきました。

 日常会話では、声は外に向かって使われます。相手に伝えるために、意味を明確にし、発音を整え、感情を乗せるマントラは、その逆です。相手に伝える必要はなく、正確に発音できなくても問題ありません。音は、外へ届けるためではなく、内側を通すために使われます。


音が通る場所

 マントラを声に出すとき、音は必ず身体を通過します。多くの場合、眉間、喉、胸、腹、腹骨盤周辺といった場所に、それぞれ異なる感覚が生まれます。

 
 お気づきの人も多いと思いますが、第2チャクラから第6チャクラに相当します。低い音は腹などの下の方を響かせます。高い音は、眉間などに振動を感じます。



呼吸と音は切り離せない

 音は、呼吸に乗って生まれます。息が浅ければ、音も浅くなり、息が深ければ、音も自然に深くなります。マントラを続けていると、呼吸を整えようとしなくても、自然に呼吸がゆっくりしていきます。これは、音をコントロールしているのではなく、音に呼吸が導かれている状態です。

 マントラの特徴は、「理解」よりも先に、身体が反応することです。肩の力が抜ける、胸が広がる、下腹が温かく感じる、こうした変化は、何かを意図して起こすものではありません。音が通った結果として、自然に起きるものです。

第4章 根源の音「オーム(AUM)」の構造

音が身体を上下に巡る体験

 数あるマントラの中でも、「オーム(AUM)」は特別な位置を占めています。ヨガをされる方は、先生によっては最初にオームマントラを唱えることもあります。キリスト教の「アーメン」も、仏教の「南無阿弥陀仏」の「南無」も似ていますよね。これは偶然ではないと考えています。

 宗教や流派を超えて扱われ、AUMの音ですが、音としての構造が体と密接に関わっています。オームは、一つの音に見えて、実際には三つの要素で成り立っています。

  • A
  • U
  • M

 これは理論ではなく、実際に発声すると自然に分かれます。音は、一気に出て終わるのではなく、身体の中を移動するように響きます。

 多くの解説では、オームは「上から下へ」「喉から胸、そして沈静へ」と響いていくと説明されています。しかし、これは天蔵の感覚とは少し違います。オームはお腹の奥から、上へ立ち上がってくる音だと感じています。

A ― 内側から立ち上がる始まりの音

「A」の音は、単なる発声の始まりではありません。腹の奥にあった圧が、喉を通って外へ向かおうとする、立ち上がりの感覚です。このとき、音はお腹でひびきながら、身体の中を上へ抜けていくように感じられます。

 一般的な説明である「上から下」というのは、スタートが喉であり、そこからお腹に下がると言っているのだと思いますが、どっしりとした呼吸をしていれば、最初からお腹でひびき始めます。

U ― 音が身体の中心を通る

 AからUへ移ると、音は勢いを抑えられ、胸や身体の中心に広がっていきます。上へ昇り続けるというよりも、身体全体に行き渡るような感覚です。

 呼吸と音の境目が曖昧になり、音の中に身体があるように感じられることもあります。

M ― 音は外へ行かず、内に残る

 最後のMでは、唇が閉じ、音は行き場を失います。この時は、音が頭に集まり、眉間のあたりで振動したり、頭頂から抜けていくような感覚もあります。

 そして、オームを唱えた後にも、体の中でこの振動の感覚が続いています。この余韻をしっかりと感じきります。

感覚は、人それぞれでいい

 天蔵の感覚は一般的なオームマントラで説明しているものと少し違うとお伝えしました。これは、一般的に言われていることが間違っている、本当はこうだよという主張をしたいわけええはありません。いろんな感じ方があるので、古い書物に書いてあること、有名な先生が言っていることが全てだと思わなくていいよということです。

 オームの実践に、「こう感じなければならない」という正解はありません。感じ方は、その人の身体と、その瞬間の意識の位置によって変わります。

 だからこそオームは、何千年ものあいだ、誰の身体にも開かれたマントラとして生き続けてきました。

第5章 般若心経は「意味」より「構造」で読む

音の連なりが意識をほどいていく

 般若心経(般若波羅蜜多心経)は、空や無について説かれていると考えられています。色即是空(しきそくぜくう)は、すべてのものは不変の実態を持たず、絶えず変化するということだ、といったように意味を解釈することができるのですが、これは意味を追いかけて解釈するものではないと考えています。

 声に出され、繰り返され、響かされることを前提とした音の連なりです。そのため、一文一文を理解しようとすると、
かえって本来の働きから離れてしまいます。般若心経は、「分かるための言葉」ではなく、通過させるための音だと考えられます。

意味が分からないことが、作用になる

 繰り返し唱えていると、途中から内容を追えなくなります。それは集中力が足りないからではありません。音が連なり続けることで、意味を処理する余地がなくなります。

 その結果、思考は自然に手を放し、音の波に意識が乗ることができると考えます。これが、まさにマントラの効果です。この状態は、無理に作るものではなく、構造によって起こされます。

 般若心経の終盤に現れる「ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ」。この部分はマントラです。サンスクリット語の音を、そのまま残していますが、これは意味よりも音が大切であるということです。

羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー): 行け、行け。
波羅羯諦(はーらーぎゃーてー): 彼岸(悟り)へ行け。
波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてー): 完全に彼岸(悟り)へ行け。
菩提薩婆訶(ぼーじーそわか): 目覚めよ、幸あれ

 唱え終わったあと、ふと静けさが残ることがあります。何かを得たというより、余計なものが減った感覚。それこそが、
般若心経が音として果たした役割です。音は消えても、状態は残る。般若心経は、そのために唱えられてきました。

終章 現代人にとってのマントラ

思考過多の時代に「戻る」ための音

 現代人の多くは、身体が疲れているというより、思考が休めなくなっています。情報を処理し、判断し、選び続ける。便利さと引き換えに、私たちは「考え続ける癖」を深く身につけてしまいました。

 休んでいるはずなのに疲れが取れない。何もしていない時間に、不安が浮かぶ。それは異常ではなく、この時代に生きていれば自然に起こる状態です。

 多くの人は、「無になれない」「瞑想ができない」と感じています。しかしそれは、集中力や才能の問題ではありません。

 思考が高速で回転している状態から、いきなり静止しようとする。それ自体が、無理のある要求なのです。走り続けている神経に、突然「止まれ」と命じる。それでは、かえって緊張が強まります。

 マントラは、思考を止めようとしません。意味を追えない音を、呼吸とともに繰り返す。それによって、考える余地そのものを減らしていく。急に静まるのではなく、自然に減速していく。この設計が、思考過多の現代人に非常によく合っています。

 瞑想に取り組んだけれど、やめてしまったという人は、ぜひマントラに取り組んでいただきたいです。

「何かを足す」ためではない

 現代のセルフケアは、どうしても「より良くなる」「変わる」「成長する」方向へ向かいがちです。しかしマントラは、何かを足す技法ではありません。これは、瞑想やタントラでも同じことですが、考えすぎを減らす、緊張を減らす、内側のノイズを減らします。減らすことで元に戻ることができます。


施術とヒーリングの場で起きていること

 施術やヒーリングの現場では、技法以前に施術者の状態が伝わります。手は、意識の延長です。思考が散っていれば、触れ方も散ります。マントラは、施術者を頭から身体へ戻します。触れる前に、すでに整っている。この状態が、無理のない、深い施術を支えます。

 また、マントラは施術者を守ってくれるものであります。マントラの語源を最初に書きましたが、「心を守る」という意味があります。施術の現場では、相手の状態や感情に引き込まれすぎることがあります。

 マントラは、外に働きかけるためではなく、自分の中心に戻るための音として機能します。自分の中心がしっかりしていると、クライアントさんから何かをもらうということも無くなります。


どこかへ行くためではなく、戻るために

 マントラは、悟りや覚醒のための道具ではありません。今ここから離れすぎないための、合図のようなものです。音が鳴り、呼吸が通り、身体がここにある。

 それだけで、十分な回復が起こります。マントラに、唯一の正解はありません。上に昇ってもいい。下に降りてもいい。
広がっても、溶けてもいい。感じ方は、その人の身体とその瞬間の状態を映しています。

 人生は、前に進むことを求められる場面が確かにあります。だからこそ、戻れる場所を知っていることが、人を深く支えます。マントラは、その場所への合図です。意味はいらない。理解もいらない。音と呼吸があれば、それで十分です。